6年程前になると思います。主人と2歳だった長女を連れて岩手県岩手郡雫石町の「とある旅館」に1泊2日の家族旅行。職場復帰して、1年以上経つのに仕事に、家事に育児に悪戦苦闘。心の中は渦中の日々。「やったー、息抜きできる-」と車を走らせ家族で向かいました。雫石と言えば小岩井農場が有名ですよね。
でも、一つの町でも歴史を辿れば違う出来事があった場所もあるのです。旅館に着いて車を降りた途端に、ただならぬ違和感を覚えました。一言で表現するなら「異様な雰囲気」でした。正直申し上げますと、旅館で働いている方々にも違和感を覚えました。その日の宿泊客は我が家ともう一家族でした。日帰り入浴の常連のようなお客様が居たの
が安心感へ繋がりました。
旅館の隣には、夜9時頃まで営業しているフラワーガーデンもあったので旅館の従業員の方に「ぜひ、行ってみてください」と言われて夜に外に出て確信しました。
どうしても、あのとき感じた違和感の原因を知りたかったのです。それと、主人と夜外に出た時、母親と小学生低学年くらいの男の子が歩いていたからです。「静岡に帰りたいから、もし車があるなら新幹線で帰ることにするから途中まで乗せてくれないませんか」と言っていました。「途中までって、今はもう夜ですから」とお答えしました。男の子の手を繋いだお母様は、「分かりました」とだけ答えました。その親子との会話をしている間にフラワーガーデンはお客様の入店が少なく営業時間より早く終了し、ライトが消えて真っ暗になりました。お客様の出入り状況によっては、早く終了することもあると旅館の方から聞いていたこともあり、そのときはさほど気にしないようにもしていました。そして、「あのー」と親子に声を掛けようと振り返ったときは親子の姿はありませんでした。真っ直ぐな国道沿いだけに、主人もさすがにびっくりしていました。
でも、この異様な違和感をどうしても知りたくて調べました。1971年7月30日に起きた全日空機雫石衝突事故の空中から黒い塊が墜ちてきた現場の一部だと確信しました。黒い塊は、そのときの事故で亡くなった162名の遺体の残骸だったのだと後から調べて分かりました。
出発地は千歳空港、目的地は当時の名で言えば東京国際空港(現羽田空港)ともそのお母様はおっしゃっていました。経由して自宅のある静岡に帰ると。
その後自分で調べて岩手県雫石町には、「慰霊の森」と場所があり、地元の方が慰霊碑のお手入れやお供えをされてお守りしてくださっているそうです。
2020年になった今、岩手県雫石町での墜落事故からは49年が経ったのでしょう。ですが、まだ彷徨っている魂があるということを忘れないことが、わたしたち生きている人間ができる供養だと思うのです。
でも、一つの町でも歴史を辿れば違う出来事があった場所もあるのです。旅館に着いて車を降りた途端に、ただならぬ違和感を覚えました。一言で表現するなら「異様な雰囲気」でした。正直申し上げますと、旅館で働いている方々にも違和感を覚えました。その日の宿泊客は我が家ともう一家族でした。日帰り入浴の常連のようなお客様が居たの
が安心感へ繋がりました。
旅館の隣には、夜9時頃まで営業しているフラワーガーデンもあったので旅館の従業員の方に「ぜひ、行ってみてください」と言われて夜に外に出て確信しました。
どうしても、あのとき感じた違和感の原因を知りたかったのです。それと、主人と夜外に出た時、母親と小学生低学年くらいの男の子が歩いていたからです。「静岡に帰りたいから、もし車があるなら新幹線で帰ることにするから途中まで乗せてくれないませんか」と言っていました。「途中までって、今はもう夜ですから」とお答えしました。男の子の手を繋いだお母様は、「分かりました」とだけ答えました。その親子との会話をしている間にフラワーガーデンはお客様の入店が少なく営業時間より早く終了し、ライトが消えて真っ暗になりました。お客様の出入り状況によっては、早く終了することもあると旅館の方から聞いていたこともあり、そのときはさほど気にしないようにもしていました。そして、「あのー」と親子に声を掛けようと振り返ったときは親子の姿はありませんでした。真っ直ぐな国道沿いだけに、主人もさすがにびっくりしていました。
でも、この異様な違和感をどうしても知りたくて調べました。1971年7月30日に起きた全日空機雫石衝突事故の空中から黒い塊が墜ちてきた現場の一部だと確信しました。黒い塊は、そのときの事故で亡くなった162名の遺体の残骸だったのだと後から調べて分かりました。
出発地は千歳空港、目的地は当時の名で言えば東京国際空港(現羽田空港)ともそのお母様はおっしゃっていました。経由して自宅のある静岡に帰ると。
その後自分で調べて岩手県雫石町には、「慰霊の森」と場所があり、地元の方が慰霊碑のお手入れやお供えをされてお守りしてくださっているそうです。
2020年になった今、岩手県雫石町での墜落事故からは49年が経ったのでしょう。ですが、まだ彷徨っている魂があるということを忘れないことが、わたしたち生きている人間ができる供養だと思うのです。
みんなの評価
この記事にコメントする
関連する心霊体験談
昨日のアクセスランキングトップ10
一週間のアクセスランキングトップ10
-
菊川怜:テレビに映し出された黒い影
-
奥菜恵は幽体離脱で北海道へ
-
嵐・相葉雅紀の霊体験が怖すぎる。綾瀬はるかも「信じたくない」
-
4年前、北海道の定山渓という場所でのことです。友人5人と車で心霊スポットに行きました。
-
和歌山市の実家での出来事です
-
奈良県天理市にある天理教の施設で、金縛りにあったことがあります
-
兵庫県宝塚市にある清荒神という神社と寺が同じ敷地内にある
-
先祖の墓は愛知県津島市にありますが、家族でお盆参りに行ったときの話です
-
岐阜県の中津川市のキャンプ場でしたが、車を坂道のところに止めてキャンプできるスペースを確認しに友人が見に行った時です
-
昔奈良県の高校に通っている時に、学校で合宿をする機会がありました。
些細なことでもいいので気軽にコメントしてください。
コメント募集中!