何が起きた場所なのか
1971年7月30日、札幌発羽田行きの全日空58便が、訓練中の航空自衛隊機と岩手県雫石町上空で衝突。旅客機は空中分解し、乗員乗客162名全員が亡くなりました。当時の日本の航空史上、最悪の犠牲者数を出した事故です。
犠牲者の多くは、北海道旅行を終えて帰路についていた団体客でした。機体と遺体は広範囲に散乱し、捜索は困難を極めたと記録されています。
「慰霊の森」という名前の意味
事故後、現場となった丘陵地に慰霊碑が建てられ、周囲が慰霊の森として整備されました。名前が示す通り、この森は観光地でも景勝地でもなく、亡くなった方々を悼むためだけに存在しています。
心霊スポットとして紹介されるようになったのは、テレビ番組やインターネットを通じてでした。編集部としては、その扱われ方に強い違和感を持っています。ここで語られる「怪異」の一つひとつが、実在した162名の誰かの最期に紐づいているからです。
訪れる場合に守ってほしいこと
肝試し目的での来訪は控えてください。特に夜間の来訪、大声、飲食、心霊スポットとしての撮影・配信は、遺族の方々を直接傷つける行為です。地元からも繰り返し配慮が求められてきました。
訪れるのであれば日中に、静かに手を合わせて帰る。それだけで十分です。碑や供物には触れず、林道は狭いため駐車にも注意してください。
事故が残したもの
この事故を契機に、日本では民間航空路と自衛隊訓練空域の分離が進み、航空管制体制の見直しが行われました。今日の空の安全は、この日の犠牲の上に築かれた部分があります。
慰霊の森を語るとき、編集部はまずこの事実から伝えたいと考えています。