タコ部屋労働という史実
常紋トンネルは1912年から1914年にかけて建設されました。工事を担ったのは「タコ部屋」と呼ばれる過酷な労働環境に置かれた人々です。募集時の条件とは異なる重労働と暴力的な監督のもと、逃亡は許されず、病に倒れた者も多かったと記録されています。
この労働の実態は、北海道開拓期の各地で行われたものであり、常紋だけの特殊事情ではありません。ただ常紋の場合、その痕跡が後年、極めて具体的な形で現れました。
壁面から発見された人骨
1968年の十勝沖地震でトンネルが損傷し、その補修工事の際に、坑内の壁の中から人骨が発見されました。1970年には周辺からも複数の遺骨が見つかり、頭部に外傷の跡が確認されたものもあったと報告されています。
「人柱」として埋められたのかどうかについては諸説あり、断定はできません。しかし、工事で亡くなった人々がその場に葬られていたこと自体は、発掘という形で裏付けられました。心霊スポットとしての常紋の"重さ"は、この事実に由来します。
慰霊碑と、いま残るもの
発見された遺骨は改葬され、金華側には工事殉難者を悼む追悼碑が建立されました。地元では長年にわたり慰霊が続けられています。編集部としては、常紋を訪れるならこの追悼碑に手を合わせる形が最もふさわしいと考えます。
なお常紋信号場は2017年に廃止され、周辺の駅も無人化・廃止が進みました。人の気配がいっそう薄れた山中に、トンネルと碑だけが残っています。
訪問について
トンネルは石北本線の現役設備です。線路内への立入は鉄道営業法に違反する犯罪行為であり、列車の運行を危険にさらします。絶対に行わないでください。
トンネル自体は列車の車窓から通過体験ができます。冬季は周辺道路の状況が厳しく、追悼碑を訪れる場合も無理のない計画で。ここは肝試しの場ではなく、亡くなった人々を悼むための場所です。