地下に掘られた司令部
この壕は沖縄戦を前に、つるはしとスコップによって手掘りで構築されました。丘陵の内部に司令官室、幕僚室、作戦室、暗号室などが配置され、全長は数百メートルに及びます。
1945年、米軍の上陸により戦況が悪化するなか、司令部はこの地下で最後まで指揮を執り続けました。壕内には当時のまま残された壁面があり、削り跡や、爆風によるとされる痕跡を見ることができます。
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」
この壕を語るうえで欠かせないのが、海軍沖縄方面根拠地隊司令官・大田実少将が本土へ送った最後の電文です。県民が戦闘に協力し、極限の状況下で耐え抜いた実情を伝え、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と結ばれています。
この電文の後、司令部の将兵は壕内で自決しました。公開されている幕僚室の壁には、その際の手榴弾の跡と伝えられる無数のくぼみが残されています。
心霊スポットとして扱わないでください
この壕が「出る」という文脈で語られることがあります。しかしここは、数百人が実際に亡くなった場所であり、遺族の方が今も訪れる慰霊の場です。
編集部の立場ははっきりしています。戦争で人が亡くなった場所を肝試しの対象にすることは、その死を軽く扱うことと同じです。訪れるのであれば、資料館で経緯を学び、静かに手を合わせてください。館内では撮影や声量についての案内があります。必ず従ってください。