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賤ヶ岳

賤ヶ岳とは|秀吉と勝家が激突した古戦場と余呉湖の眺め

滋賀県 山・峠・森 恐怖度 ★★★☆☆

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心霊.JAPAN 編集部 による調査レポート

山頂に立つと、北に余呉湖、南に琵琶湖が同時に見えます。この眺めのよさこそが、賤ヶ岳が戦場になった理由でした。1583年、羽柴秀吉と柴田勝家がこの一帯で激突し、多くの兵がここで倒れています。

基本データ

所在地 滋賀県長浜市木之本町(標高約421メートル)
形態 余呉湖と琵琶湖を分ける尾根上の山。戦国期の古戦場
歴史 1583年(天正11年)、羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ヶ岳の戦いの舞台
見どころ 山頂の武将像と慰霊碑、余呉湖と琵琶湖の展望、賤ヶ岳リフト
立入 登山道・リフトで山頂へ。リフトは季節運行で冬季は運休

天下分け目の前哨戦

本能寺の変の後、織田家の主導権をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が対立します。1583年、両軍は賤ヶ岳を含む北近江の一帯で衝突しました。

秀吉が大垣から驚異的な速度で戻ったいわゆる「美濃大返し」により戦局は一変し、勝家は敗走。北ノ庄城で自刃します。この戦いで武功を挙げた若い武将たちは「賤ヶ岳の七本槍」と称され、後に大名へと取り立てられました。

つまり賤ヶ岳は、秀吉が天下人へ進む決定的な分岐点となった場所です。

古戦場が語られる理由

古戦場が心霊スポットとして語られるのは全国共通の現象です。多くの人が短期間に同じ場所で亡くなったという事実があり、それが土地の記憶として残ります。賤ヶ岳も例外ではありません。

ただし賤ヶ岳の山頂には慰霊のための碑が建てられており、戦死者を悼む場として整備されています。編集部の見方としては、ここは肝試しではなく、何が起きたのかを知って手を合わせる場所です。

北に見える余呉湖には羽衣伝説が伝わり、こちらは戦とはまったく別の系統の物語です。この一帯には、戦国の記憶とはるかに古い伝承が重なっています。

登る際に

山頂へは賤ヶ岳リフトを使えば手軽に上がれます。ただしリフトは季節運行で、冬季は運休します。徒歩の登山道もあり、余呉湖側から登るルートが一般的です。

標高は421メートルと高くありませんが、尾根道は風が強く、冬季は積雪します。

山頂の慰霊碑と武将像の周辺では、静かに過ごしてください。

場所

滋賀県長浜市木之本町(余呉湖と琵琶湖の間)(地図はおおよその位置を示しています)

訪問前に必ずお読みください

よくある質問

賤ヶ岳の戦いとは何ですか?

1583年、本能寺の変後の織田家の主導権をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が争った戦いです。秀吉が勝利し、天下人へ進む決定的な分岐点となりました。

賤ヶ岳の七本槍とは?

この戦いで武功を挙げた若い武将たちの呼称です。後に大名へと取り立てられました。

山頂まで簡単に行けますか?

賤ヶ岳リフトを使えば手軽に上がれます。ただし季節運行のため冬季は運休します。徒歩の登山道もあります。

心霊スポットなのですか?

多くの兵が亡くなった古戦場であることから語られますが、山頂には慰霊碑が建てられ、戦死者を悼む場として整備されています。

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