天下分け目の前哨戦
本能寺の変の後、織田家の主導権をめぐって羽柴秀吉と柴田勝家が対立します。1583年、両軍は賤ヶ岳を含む北近江の一帯で衝突しました。
秀吉が大垣から驚異的な速度で戻ったいわゆる「美濃大返し」により戦局は一変し、勝家は敗走。北ノ庄城で自刃します。この戦いで武功を挙げた若い武将たちは「賤ヶ岳の七本槍」と称され、後に大名へと取り立てられました。
つまり賤ヶ岳は、秀吉が天下人へ進む決定的な分岐点となった場所です。
古戦場が語られる理由
古戦場が心霊スポットとして語られるのは全国共通の現象です。多くの人が短期間に同じ場所で亡くなったという事実があり、それが土地の記憶として残ります。賤ヶ岳も例外ではありません。
ただし賤ヶ岳の山頂には慰霊のための碑が建てられており、戦死者を悼む場として整備されています。編集部の見方としては、ここは肝試しではなく、何が起きたのかを知って手を合わせる場所です。
北に見える余呉湖には羽衣伝説が伝わり、こちらは戦とはまったく別の系統の物語です。この一帯には、戦国の記憶とはるかに古い伝承が重なっています。
登る際に
山頂へは賤ヶ岳リフトを使えば手軽に上がれます。ただしリフトは季節運行で、冬季は運休します。徒歩の登山道もあり、余呉湖側から登るルートが一般的です。
標高は421メートルと高くありませんが、尾根道は風が強く、冬季は積雪します。
山頂の慰霊碑と武将像の周辺では、静かに過ごしてください。