結論:噂の舞台は「文化財の煉瓦隧道」
宇津ノ谷峠には複数のトンネルが並んでいます。いま使われているのは、昭和第一トンネル(1930年開通、県道208号)、昭和第二トンネル(1959年開通)、平成宇津ノ谷トンネル(1998年開通)の三本の車道と、歩行者だけが通れる明治トンネルです。このうち心霊スポットとして名前が挙がるのは、いちばん古い明治トンネルです。
明治トンネルは、1904年(明治37年)に開通した2代目のトンネルで、現存する宇津ノ谷隧道としては最古です。1997年に「明治宇津ノ谷隧道」として国の登録有形文化財になっています。赤煉瓦の壁と、カンテラ風の内部照明が文明開化の雰囲気を今に伝えています。
編集部が確認した限り、このトンネルで多数の犠牲者が出たといった公的な記録は見つかりませんでした。噂は、古い煉瓦の隧道という環境が育てたものと考えています。
初代は火災で崩落した——トンネルの来歴
峠を越える道は、平安時代の「蔦の細道」から旧東海道へと移り、明治に入って交通量が増えると、地元の有力者が中心となってトンネルの掘削が始まりました。1874年(明治7年)に着工し、1876年(明治9年)に日本初の有料トンネルとして開通します。工事は手掘りで、延べ15万人が関わったとされます。全長203メートルの煉瓦造でした。
ところが開通から20年後の1896年(明治29年)、坑内の照明に使っていたカンテラの失火が原因で崩落し、閉鎖されます。その後、初代の残った部分を利用する形で2代目が着工され、1904年(明治37年)に開通しました。これが現在の明治トンネルです。
「火災で崩落したトンネル」という来歴は、噂の背景として語られることがあります。ただし、編集部が確認できた資料には、この崩落による犠牲者についての記述は見当たりませんでした。史実として確かなのは、照明の失火で閉鎖に至ったこと、そして人々の手で造り直されたことです。
語られている噂の型
怪談投稿サイトや心霊系のまとめでは、宇津ノ谷トンネル(明治トンネル)の怪異として、女性の笑い声や人の話し声が聞こえる、火の玉が飛ぶ、自分たち以外の気配を感じる、といった話が語られています。通称は「お化けトンネル」で、地元では子どもの頃に度胸試しで訪れた、という話も見られます。
いずれも夜間の体験談が中心で、公的な記録に裏づけられたものではありません。
噂を育てる条件——音・光・歴史
編集部が考える条件は三つです。ひとつは音。煉瓦造のトンネルは内部で音が反響し、遠くの話し声や外の風の音が、近くで笑っているように聞こえることがあります。
ふたつめは光。内部の照明は、デザインとしてカンテラを踏襲した薄暗いものです。火災で崩落した初代の記憶と、揺らめくような灯りが重なると、「火の玉」という語りに結びつきやすいと考えられます。
みっつめは歴史。この峠は、平安時代から山賊が出没する難所として語られ、歌舞伎の怪談劇『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台にもなりました。峠そのものが、古くから物語を呼ぶ場所だったのです。トンネルという構造に噂が集まる一般的な理由は、なぜトンネルに心霊の噂が集まるのかでも整理しています。
昼に訪ねる歴史の道として
宇津ノ谷峠は、旧東海道の面影を残す道として、国の史跡「東海道宇津ノ谷峠越」に指定されています(2010年)。2020年には、峠にまつわる史跡や文化財が日本遺産のストーリーの構成文化財にも認定されました。明治トンネル、昭和のトンネル群は、2018年に土木学会選奨土木遺産にも選ばれています。
訪れるなら昼間がふさわしく、峠道や宿場の跡、名物の十団子とあわせて歩くのが本来の楽しみ方です。明治トンネルは徒歩でのみ通行できます。文化財なので、壁面の煉瓦への落書きや接触は損傷にあたります。周辺には住民の方の暮らしもあるため、夜間の肝試しは控えてください。
立入禁止の場所に入る行為の扱いは、心霊スポットは不法侵入になる?廃墟・立入禁止の法律と行く前の注意で整理しています。静岡県内のほかのトンネルとの違いは、静岡県のトンネル心霊スポットまとめをご覧ください。