結論:江戸の北の入口の刑場であり、日本の近代医学の出発点でもある
小塚原刑場は、日光街道沿いに設けられた刑場で、東海道沿いの鈴ヶ森刑場と対になる存在でした。
恐怖の対象として語られがちですが、ここでの出来事は、幕末の政治史と医学史の両方に深く関わっています。
回向院の成り立ちと墓所
刑場に隣接して、死者の埋葬と供養のために常行堂が創建され、これが後の南千住の回向院になりました。
安政の大獄で処刑された橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎らも、ここに一時埋葬されました。現在、吉田松陰と橋本左内の墓は区の登録を受けています。
首切り地蔵
寛保元年(1741年)に建てられた首切り地蔵は、高さ約3メートルで、区の指定文化財です。供養のために建てられた地蔵であり、「怖い像」ではなく、亡くなった人々を弔うための像です。
腑分け(解剖)と『解体新書』
明和8年(1771年)、オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』を手に入れた杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らは、書物の図が正確かを確かめるため、小塚原刑場で刑死者の解剖に立ち会いました。
この経験が、後の『解体新書』の翻訳につながったと広く知られています。心霊の噂よりも、この歴史の方が、この場所の本質を表しているといえます。
現地は寺の境内です。見学は日中に静かに行い、夜間の肝試しは避けてください。